第一商品の前身は1950年創業の木谷商店で、後に共栄商事に社名を変更し、72年11月に高津商事と新設合併したときが設立日となっています。間もなく38年目に突入します。私はこの間、企画部門で仕事をしてきましたので、第一商品の歴史はよく知っています。大きな出来事として直ぐに浮かぶのは次の事柄です。
1)第一次オイルショックの商品時代の到来で、不況にあえぐ他業種とは異なり、74年~75年にかけて当社の業績は飛躍的に伸びました。
2)当社は76年に東京進出を果たし、商品取引の大衆化を大目標に業態を「仲介業からサービス業」に変革。その具体的戦略の最初として商品取引広報センター・ピスクを開設(商品取引の啓蒙と普及を目指す)しました。そして1年後には広報誌「月刊ピスク」の定期発行を開始し、現在32年間も続けています。
3)79年にMMTP(顧客志向の経営戦略)を本格的に開始しました。MMTPの内容は、マスコミ懇談会、プレスリリースの発行、相場講演会の定期開催、相場予想紙の発行、損失限定取引の開始などです。その後は、コンピュータ情報提供システム(DIシステム)の開発、ラジオ日本など数局での商品取引啓蒙の提供等を行っていました。
4)30社限定に許可が与えられた東京金取引所に設立のときから会員加入しました。その後、東京金取引員協会が金市場振興策を開始したことから、当社独自の経営戦略である一部のものを除き、業界に関する広報活動を休止しました。
5)当社は、85年1月から電話や訪問による無差別勧誘を全面禁止し、顧客の意思や主体性を重視した営業手法に大変革を行いました。このときは営業現場が顧客志向の考え方だけでなくやり方も変わらない限り将来はないという考え方で、村崎会長(当時社長)が大決断をしたことをよく覚えています。そして、投資家の関心が高い「金」中心にして、新たな営業戦略を確立し、新聞広告によって金に関心のある方を募り、情報であれ、データや分析であれ、顧客の要望するものは全て提供する体制を整えました。当時のエピソードとして、村崎会長は独自の発想で戦略全体の構想をまとめ、それを経営行動に移しました。広告計画の立案を初め、「金価格分析」やその後の情報サービスとして10日毎に発行の「金情報レポート」の編集、何回にも及ぶ営業社員研修や資料請求者を対象とした「金取引セミナー」の講師を務めるなど八面六臂、不眠不休の活動は今でも私の目に焼き付いています。当時、私は企画部門でしたから、研修やイベントの準備、営業ツールや資料作りに奔走し、何度も徹夜作業を行ったことを思い出します。
6)86年に24時間体制の情報サービス「フューチャーズ24」を開始しました。当時、24時間サービスは証券でもやっていなかったですね。しかも、インターネットが普及していませんでしたから、お客様のご要望にお応えし海外市場(ロンドン市場、ニューヨーク・シカゴ市場)の商品市況や為替相場等を24時間、係員によるリアルタイム情報の提供などを特徴にテレフォンサービスを開始しました。 実はこのとき事務所探し等、苦い思い出があります。24時間体制でテレフォンサービス中心に行うわけですから、それなりのビルが必要になります。それで、電話回線50本を一度に引ける事務所を探していると切り出すと、不動産屋から「テレクラでもやるのですか。風俗だったら他所に行ってください」と何軒か門前払いされてしまいました。当時は24時間使用可能なビルが少なかった時代ですから探すのも大変でした。24時間サービスは、今ですと常識ですが…。
7)96年3月に株式を公開しました。これは時間がかかりました。実は87年10月のブラックマンデーの日に村崎会長が一大決心し、社内に発表があったときは驚き、感激しました。その後準備を開始しましたが、それから丸々8年かかってしまいました。それだけに株式公開の日の感慨は一入であったことが思い出されます。
8)2000年7月にFX取引を開始しました。これがその後の人気商品に成長しました。当社は新しいことをやるときには意外と夏が多いのですよ。
9)02年あしたば商品と合併し、会社の業容が大幅に拡大しました。その後、支店は2~3店舗を統廃合しましたが、社員数や支店数は現在でも業界第一位にあります。
10)05年2月に開始した「金戦略」が金の高騰を中心に開花・結実し、12月には預かり資産が有効ベースで一時1、100億円を突破しました。これで当社は大きな発展期に突入するのではないかと誰もが確信しましたが、その後の金暴落で大きな打撃を受けてしまいました。人為的な暴落ともいわれるなど、今でも忘れられません。
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