INSIDE View「オーテックの視点」

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日経新聞「私の履歴書」から

   日経新聞朝刊の「私の履歴書」の11月は今日の野村證券を築き上げた大田淵こと、田淵節也さんが登場されています。その中で、11月19日は『預かり資産』というタイトルで話しをされています。読まれた方も多いと思いますが、商品先物取引業界でも見習わなければならないことが多く書かれていたように思います。その中で、気なったことを記載し、ODKISが考えることと重ね合わせてみたいと思います。

僕は「ノルマ」という言葉が嫌いだった。人に強制されて働くのも嫌だし、人を強制して働かすのも嫌だったし、何よりお客のためにならない。
僕は社長になると「野村はもう手数料を稼いだ人間を評価しない。株や公社債、投資信託などお客から預かった資産を増やした人間を評価する会社に変える」と宣言した。
人事部に人事考課を変えるように指示し、支店に割り当てていた営業目標「ノルマ」をなくし、「支店長の自主判断、自主経営」に変えた。
僕の理想は野村の狩猟民と農耕民の収益比率を6対4にすることだった。
1982年に掲げた目標は「3年後の預かり資産25兆円」足元の数字は17兆円程度で、目標は都銀上位行の預金残高を睨んだ数字だった。
「預かり資産」重視への転換は、僕のやった仕事で自慢できる事の一つと思っている。


   田淵氏が社長に就任したのは1981年ですから26年も前のことです。どの言葉をとっても、今の時代でも商品取引業界に置き換えれば厳しい話のように思えますが、その発想があったからこそ「世界の野村」になったのも事実です。また、これらの言葉を4半世紀も前に発し、その通りに実行した行動力には頭が下がる思いがしました。もちろん、既にメガ証券の地位を築いていましたし、収益も付いてきていたからこそできる発想であり、そのような行動を起こせたのかもしれませんが・・・。
   金融を業とする企業であれば、明日の収入を生む預かり資産(営業資産)を増やすことは道理です。ただ、相場ですから相場付によってある程度の預かり資産が増減するのはやむを得ません。しかし、どのような相場付であろうと、預かり資産を増やす努力は必要ではないでしょうか。
   もともと、先物取引を含むデリバティブ取引が生まれた理由は、ヘッジ取引(保険つなぎ)や裁定取引が主であり、投機はその受け皿でしかありませんでした。ところが日本の先物市場は投機だけの市場になってしまったのが問題だったのではないでしょうか。現在はオプション取引や商品ファンドも取引ができますし、個人でも海外との裁定ができるようになりました。是非とも預かり資産重視の経営を行っていただけたらと思います。