箱根駅伝“たすき”への思い

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箱根駅伝“たすき”への思い

   関東地方では正月の定番となっている箱根駅伝(正式名:東京箱根間往復大学駅伝競走)が今年も1月2日~3日行われました。今年は84回目を迎えましたが、今年も様々なドラマが生まれ、皆様にとっても思い出多い大会になったことと思います。
    箱根駅伝誕生には秘話があるそうです。その秘話に少し触れてみましょう。

1919年10月、上野駅を出る汽車に3人の男が乗り合わせた。東京高等師範学校出身の金栗四三(日本人初のオリンピック選手となりその後、「日本マラソン界の父」と呼ばれた男)。明治大学の沢田英一(札幌~東京間(約830km)を22日で走破した実績を持つ健脚の持ち主)。野口源三郎(1924年パリオリンピックに十種競技代表として出場)の三人。彼らは汽車の中で「アメリカ大陸横断駅伝」を夢見たが現実的ではなく断念。他にも候補が出されたが、結局、交通の利便性や箱根の山登りの勇壮さ往復コースとなることなどが決め手となり、最後にあがった東京~箱根間ルート間に決定。 「天下の嶮」箱根の山、越すに越されぬ箱根山と歌われるほどの急峻な山道に挑む選手たちの姿が頭に浮かんだのかもしれない。その後、三人はスポンサー集めに奔走し、翌年1920年2月14日、有楽町の報知新聞社前から 東京高等師範学校(現筑波大学)、早稲田大学、慶応大学、明治大学の4校が スタートする。-(箱根駅伝ホームページより)


    三人が埼玉県鴻巣の小学校の審判員に選ばれて同じ汽車に乗り込み、時間つぶしに夢を語り合ったのが箱根駅伝のスタートだとは、スタートからがドラマだったのですね。
    さて、駅伝の醍醐味は選手が肩に掛ける“たすき”をスタートからゴールまで如何に繋ぐかということです。今年の箱根駅伝では3校が選手の体調等の不良で途中棄権し、たすきが繋げませんでした。中には優勝候補の一角と目された東海大学、昨年優勝の順天堂大学が含まれていました。また、制限時間オーバー(中継所でトップから20分オーバー)でたすきが繋げなかった大学が4校ありました。
    体調不良の選手は、一歩も先に進めない状態に陥りながら、学校の歴史や過去に走った選手の汗を感じながら、何度もたすきに手を掛け力を貰おうと頑張っていました。また、タイムオーバーで繋げなかった選手は中継所で倒れこみ、人前で大声を出して泣き崩れてしまいます。その姿は見ている人達に感動と感激を提供し、観客は同時に涙する人も多いと聞きます。
    さらに来年のシード権獲得があります。20校が参加しますが翌年のシードは10位までです。後輩が予選会に出場しなくても本戦に出られるように、歯を食いしばってがんばります。そして10位に入った学校は歓喜を上げ、11位の学校はゴールで泣き崩れてしまいます。今年も多くのドラマがありましたが、この“たすき”への思いは企業人にも見習って欲しいものです。